「姑の遺品整理は、迷惑です」を読む
これまで私は「老後はミニマリストになって、最期は遺品ゼロで死にたい」と息巻いてきました。
そんな自分の価値観を変えてくれた、とても良い本に出合いました。
「姑の遺品整理は、迷惑です」(著:垣谷美雨、出版社:双葉社)という本です。
インスタで話題になっており、図書館で借りました。面白くて1日で読んでしまいました。
ミニマリストを目指している方もそうでない方も、これからの人生100年時代をどう生きるか。
とても考えさせられる小説だったのでぜひ紹介させてください。
あらすじ
ざっとあらすじを説明すると
主人公は50代の望登子。
独り暮らしをしていた姑が亡くなり、住んでいたマンションを引き払うため遺品整理に立ち上がる。
しかし、3LDKの部屋には「お義母さんは何人暮らしなのですか?」と尋ねたくなるほど物があふれている。
途方にくれながら作業を進めるも、一向に整理が終わらない。
しかも、亡くなったはずの姑の部屋に何者かが侵入している気配があり…。
一方、15年前に癌で亡くなった実母。余命を宣告されてからコツコツと身の回りの整理を始め、高価な指輪や少しの着物以外何も残さないでこの世を去っており、「本当に母は立派だった」と望登子は思いを馳せる。
ここから大いにネタバレありの感想です。
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マキシマリストの姑
物に溢れた姑の部屋から始まる冒頭部分は、読む人を軽く絶望の底に落としてくれます。
冷蔵庫にぎっちり詰め込まれた賞味期限の切れた瓶入りのジャムや調味料、ギチギチに衣類が詰まったタンスが数個、天袋に詰め込まれた時代遅れの壷や茶器。
ベランダには大量の植木鉢のほか、なぜか大きな石まで置いてある。
出たっ!どうやって捨てたら良いかすら分からないゴミ。一人では運び出すのすら難しい大きくて重いゴミ。
「どうして要らない物を溜めるのか、どうして少しずつ捨ててくれなかったのか」
主人公の心の叫びに頷かずにはいられません。
しかも、エレベーターがないのでゴミを抱えて四階を階段で往復しなければいけないという状況。
業者に見積りを頼むも96万円というとんでもない価格を提示され、自力でやるしかありません。
助っ人として呼んだ夫は「母の思い出の詰まった物を捨てられない」と、たくさんの人形ケースや義理の父の初任給が書かれた給与明細を全て自宅に持ち帰ろうとします。
ここ最高のイライラポイント。
お茶と共に非難の言葉を飲み込んだ主人公を尊敬しました。よくキレないなと…。自分だったら確実にキレてます。
ミニマリストの母
一方、主人公の母はミニマリストそのものです。
昔から、安物買いの銭失いをするのではなく価値のある高価なものを一つだけ買うタイプ。
古くなったら買い替え、余計な物を家に入れない。
余命を宣告された後は「欲しい物があったら言ってください」と、数点の高価な着物や宝石について書いた手紙を子どもたちに出し、後は全て処分。
カッコエエ~!
つまり、
・物を大量に溜め込み、死んでも尚家族に迷惑をかけるマキシマリストの姑=悪
・持ち物は自分で全て潔く処分し、家族に何の負担もかけないミニマリストの実母=善
という構図が生まれます。
しかし、物語が進むにつれこの構図がだんだんと逆転していきます。
母の気持ちを知る手がかりがない
姑はどんな物が好きで何を考えて生きていたのか、遺された物が雄弁に語ってくれます。
一方、母が恋しくなり、実家の母の部屋を訪ねても何もない。
何が好きで、何を考えて生きていたのか主人公には知るすべがない。空っぽの部屋には手がかりがまるでない。
遺品もないけど思い出もない。姑とは遺品整理の間も、悪口という形ではあるけど会話が出来るのに。
お母さんはいったいどんな人だったの?
私のことどうおもってた?
主人公が心の中でそう問いかける場面があります。
タイトルに込められた意味
そして、物語が進むにつれ、義母の遺品の片付けをだんだんと近所の人が手伝ってくれるようになります。
隣の部屋に住む、生活保護を受けている優しい雰囲気の30代の女性。自治会の副会長の元気なおばあさんなどなど。
彼女たちから、姑の意外な過去を聞きます。
マンションにたずねてくるDV夫から、30代の女性と娘を守るため、ベランダの壁に穴を開け自分の部屋に逃がしてくれる抜け穴を作ってくれたこと。
借金があった、副会長のおばあさんに真っ先に声をかけて200万円を貸してくれたこと。
「ねぇ、どうしたの?最近のあんたちょっと暗い顔してるじゃないの。話してごらんなさいよ」
そんな風に躊躇なく人に踏み込んでいける姑は人との繋がりも厚く、恩返しをしたいと感じている人がたくさんいるのでした。
彼女たちから語られる姑は、困っている他人のためにいくらでも力を貸してくれる善そのものです。
そして、彼女たちの力で片付けは急速に進みます。
一方、人との付き合いが希薄だった母の過去を語る人物として登場するのは、同居していた嫁(主人公の弟の嫁)だけです。
この嫁から実は母があまり良く思われていなかったことを知ります。
己にも厳しいけれど、他人にも厳しかった母。
形見分けで渡された高価な品々も、母をおもいだすのが嫌で全て処分してしまったほど嫁に嫌われていたのでした。
ここで、善と悪が逆転します。
「姑の遺品整理は、迷惑です」というこのタイトル。主人公の心情だけでなく、この弟のお嫁さんの心情でもありますよね。
例え、物を潔く処分し家族に迷惑をかけなくても善なる存在ではない。物を大量に溜め込む人間だったのでとしても悪人ではない。
というか、遺品ゼロであることは遺された家族の幸せではないと、この物語では伝えられます。
お母さんのことが知りたい
母の遺品整理を業者に頼んだ友人のセリフにこんな言葉があります。
「最近になって、実家にはどういった物があったのかな、あの頃の母が何を考えていたのかなってしりたくなる時があるのよ。あの家の中に小さなヒントがたくさんあったんじゃないかって」
業者に頼んだのは間違いだった、自分の手でやれば良かったとその友人は言います。
遺品整理は生きている人が、なくなった人の人生をもう一度読み説き自分の中で始末をつける行為。
遺された人のために必要な作業で、その機会を奪ってはいけない。
うーんと唸りました。
子どもと濃密に関わっている子育ての間で親の役割が終わるのではなく、子どもが成人しても親は親。何歳になっても子どもにとっては親に教わりたいことがあるということですね。
何も遺さないのは寂しすぎる。
人生100年時代です。
これから子どもたちにどんな物を遺すか。何を伝えたいか。
私はアラサーでまだまだ人生は長いですが、2000万円必要と言われている老後の資金と同じように、物についても老後計画の一つとして考えていかなくてはいけないなと強く思いました。
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